ミュージカル映画史

ミュージカル映画史8〜60年代のミュージカル映画〜

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ミュージカル映画史8〜60年代のミュージカル映画〜

 

60年代ミュージカル初期の重要な作品といったら「ウエストサイド物語」あたりの作品が挙げられる。ここら辺の時代のミュージカルの特徴は、スクリーンが大型化し、ブロードウェイ作品の映画化が製作の基本となり、大作ミュージカルというものが中心となったことだろう。今でも名作として記憶にこびりつくミュージカル映画が多く、第三期ミュージカル映画黄金期などとも呼ばれている。そんな中、60年代にはその流れとは違ったミュージカル映画の歴史が流れている。それが、フランスによるハリウッドスタジオシステム時代のミュージカル映画に対する嫉妬とノスタルジーだった。

 

64年に公開された「シェルブールの雨傘」と、67年に公開された「ロシュフォールの恋人たち」は、ジャック・ドゥミ監督でミシェル・ルグランが音楽を担当したフランスミュージカル映画で、誰もが知っている名作中の名作であり、あの立川談志師匠をすら虜にした作品だ。この二つの映画の比較については別の記事に述べているので特に言及はしないが、この二つの恐ろしき作品がなぜ産み落とされたかという感動的なノスタルジーを少し打ち込みたい。

すでに言及した通り、この二つの作品にはノスタルジーが氾濫している。それは、「巴里のアメリカ人」への惜しみない賞賛と嫉妬で構成されたノスタルジーなのだ。「巴里のアメリカ人」は40年代にMGMの看板俳優であったジーン・ケリーが主演で、パリを舞台としたミュージカル映画なのだが、この作品も実に素晴らしい。この愛を語るには数百という日本語と外来語で構成された僕の語彙では足りなすぎるためにここでは控えるが、とにかく作品としても素晴らしいし、ハリウッドをフランスで撮っちゃおうというなんとも大胆不敵なアホらしさがたまらない。しかし、これに黙っていられないのはフランス側だった。素晴らしい作品だと認めながらも、その素晴らしさゆえに、フランス(とりわけパリ)を舞台にして作られたアメリカ人によるミュージカル映画ということに複雑な感情を抱いていたのだ。嫉妬である。その嫉妬心を中心的な駆動装置とし、フランス人のフランス人によるミュージカルが作られた。それが先にあげた二つの作品だった。(このノスタルジアが決定的なのは、ロシュフォールにはジーン・ケリーがフランス語の吹き替えを許可してまで出演していることからもわかる)。この二つに出演したカトリーヌ・ドヌーブは実に美しい。ブロンドヘアーに透き通るような肌を備えたこの映画スターは、ジャック・ドゥミの巧妙な演出によって見事にスクリーンに定着している。それだけ製作陣が丁寧に彼女をカメラに収めているのだ。

 

そしてもう一つ、50年代後半に長編映画デビューしたゴダールもこの流れから外せない。世間にはゴダーリアンが多くいるし、彼についての多くの優良な本もあるため、彼についてはここでは多くを語らないとして、彼の60年代に上映された作品群を見てみると、そこにはすでに記したあのノスタルジーが随所に散りばめられていることがわかる。

「小さな兵隊」(63)では、ミシェル・シェボールが構えるカメラの前で、アンナ・カリーナが部屋に流れるクラシックに合わせて自由に踊っている。「女は女である」(61)はミュージカル映画で、アンナ・カリーナが踊り子の役を演じている。「ミュージカルに出たい」というアンナ・カリーナの口からは、シド・チャリシーとジーン・ケリーの名前が飛び出てくることからも、意図されたノスタルジーが読み取れる。「男と女のいる舗道」(62)では、ピンボール場でジュークボックスに合わせて素人じみた小躍りを見せるアンナがいるし、「はなればなれに」(64)では、アンナとサミー・フレーとクロード・ブラッスールがカフェでジュークボックスから流れる音楽に合わせて踊るし、「気狂いピエロ」(65)では、殺人を犯す前にネグリジェで歌を歌いながら支度をするアンナがいる。ブリジッド・バルドーが主演した「軽蔑」(63)や、ジーン・セバーグが主演した「勝手にしやがれ」(60)ではそういったシーンが見られないことからも、それはゴダールがアンナに向けた屈折した愛情表現だとわかる。言わずもがなアンナは60年代のゴダールにとって(ヌーヴェルヴァーグにとって)ファムファタールであったわけだが、ゴダールとアンナの関係は他に良い資料がたくさんあるのでそちらを見ていただいた方が良い。とにかくゴダールは「女は女である」と言って見せてしまうように、「アンナ・カリーナはアンナ・カリーナである」ということを映画を通して暴露してしまっている。ゴダールについて語るときにアンナ・カリーナという言葉を出してしまうときにそれがマジックワードになりかねない危険性を備えているのは、「ゴダールにとって映画とはアンナだった」なんて言ってみてもそれなりに説得力のありそうな命題に見えてしまうからで、それが幸か不幸か我々を盲目にしかねないのだが、ハリウッド黄金期のミュージカル映画へのノスタルジーと、アンナへの屈折した愛情表現というフィルターを重ね合わせたとき、ゴダールの音痴っぷりと、それを隠そうと必死になっているゴダールのアンナに向けられた視線(カメラ)が薄っすらと表面上に真実として浮き出てくるのを僕は感じるのだ。

一人の女(アンナ)をいかに美しく撮るかという映画の真実(ハリウッド黄金期のノスタルジー)に触れ、憧れのミュージカル映画を撮りたいと願いながらも、自らの音痴を自覚していたゴダールは音楽を継ぎ接ぎにし、突然音を止めたり、突然再生して見たりすることで自らの恥部を隠し、映画的(エイゼンシュテインのモンタージュ理論的)にアンナを支配(撮影)しようとした。しかもそれが誰にも真似できないような天才の仕草になってしまい、50年以上も経っている今でさえ毒にもならない模倣が生産され続けてしまっている。女(アンナ/女優)への愛無しでだ。

 

これが60年代にあった第三期ミュージカル映画黄金期といわれる流れの横で、細々と流れていたミュージカル映画史の流れでもあるのだ。

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