1950年代 映画について

「パリの恋人」(1957)

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「パリの恋人」(1957)

監督

スタンリー・ドーネン

キャスト

オードリー・ヘップバーン(ジョー・ストックトン)、フレッド・アステア(ディック・エイブリー)、ケイ・トンプソン(マギー・プレスコット)

 

ファッション(概念としての)を扱ったミュージカル映画は意外と珍しい(というか僕の専門分野ではないので詳しくなく、正直にいうと他には知らない。だから知っている人がいたら是非教えて欲しいのです)。

ところで、映画史についての本でもファッション史についての本でも映画衣装史についての本でも、あまりファッションとミュージカルの親和性については語られてこなかったように思う。この二つは、同調性という点において非常に類似的というか、例えばミュージカル映画は同調性という異化作用が歌劇への門口になるし、ファッションショーにおいてもマヌカンたちの同調性(歩き方、無表情という伝統的な態度)がファッションショーへの門口になる。しかし、同調したものの音楽の乗り方が真逆と言っていいほど違う。ミュージカル映画においては、この同調したものが音楽としっかり同調する(同調→同調)。一方でファッションショーは同調したものが音楽に一切同調しない(同調→非同調)。マヌカンたちの歩くリズムと音楽のリズムが全く同調していないのは見れば明らかだ。

これがファッションとミュージカルの親和性の構造の外観だ。決して結論を急ぐ訳ではないが、ミュージカルがファッションを扱わなかったのにはこの構造が少し関与しているのではないかというのが僕の勝手にしやがれわがまま男な意見である。でなければ、こんな華やかな世界なのだからもう少しこの分野のミュージカル映画があっても良いのではないかと思っている。

 

50年代の映画スターといったら、脱ぐことでスターになったマリリン・モンローと、着ることでスターになったこの映画のヒロインオードリー・ヘップバーンだろうと思う。ただ写真屋の立場から言わせてもらえれば、彼女たちは明らかにこちら側の人間だと思う。彼女たちはいわゆる「フォトジェニック」であり「シネマトジェニック」ではないというのが僕の見立てなのだが、世間評を見ていると世間様はあまりそのように感じていないのかなと思ってしまう。

 

だからこの映画でも、オードリーが「シネマトジェニック」に映し出されるシーンはあまりない。しかし、あるシーンだけ素晴らしく映画に収まるオードリーがいるのも確かだ。それは、共感主義という実存主義のカルト集団に熱中していたオードリーが、彼らの巣窟でダンスするシーンなのだが、そこで身につけている、体にピッタリとフィットする黒のパンツ、サブリナパンツが非常に良いのだ。「麗しのサブリナ」のように背中がV字に大きく開いたトップは着ておらず、タートルネックのセーターにローファーという出で立ちがこの嬢の高飛車ぶりを実に見事に表現している。

 

実はこの映画の衣装デザイナーは二人いて、一人はオードリーと名コンビと言われたジバンシーで、もう一人はパラマウントの女王イデス・ヘッド。元々イデス・ヘッドが主任デザイナーだったはずが、売れてちょっと調子づいていたオードリーがジバンシーを推薦。パリが舞台とうこともあり、ジバンシーがメインのデザイナーとなり、イデス・ヘッドは数点の衣装をデザインするという形になった(クレジット上は、イデス・ヘッドが監修でジバンシーがデザイナーということになっている)。まーイデス・ヘッドもちょっとカチンときたと思うのだけれど、実はこのダンスシーンのサブリナパンツスタイル(「麗しのサブリナ」のデザインも含めて)は、この映画では数少ないイデス・ヘッドによるデザイン。

 

そもそもジバンシーはサロンを構える人気デザイナー。決して映画衣装専門のデザイナーではない。どちらかといえば、写真屋側の人間でもある。「オードリー+ジバンシー」という名コンビが、映画の中でイマイチ光らないのは、そういったことも原因としてあるのだと思う。だけに、イデス・ヘッドの仕事の素晴らしさが実に見事に光り輝くのだ。

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