1940年代 映画について

若草の頃(1944)

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若草の頃(1944)

監督

ヴィンセント・ミネリ

キャスト

ジュディ・ガーランド(エスター・スミス)、マーガレット・オブライエン(トゥーティ・スミス)、メアリー・アスター(アンナ・スミス)、レオン・エイムズ(アロンゾ・スミス)

 

恥部を好奇の目に晒すことは、たとえそれがどんな芸術行為であれ恥じらいを感じずにはいられない。しかし、愛と憎悪が表裏の関係にあるように、恥じらいの裏(表)には性的興奮というものが隠れている。露出狂が絶滅しないのは、人間から恥じらいという感情が消滅しないからなのだ。そして僕は、この恥じらいをぐっとこらえて、この映画で興奮してしまったシーンを告白する(ある意味で露出狂である)。世間がそれを許そうとしなくとも、はたまたF2〜3層の主婦達が苦情を入れようとも知ったことはなはい。そもそも苦情の行き先は僕なのだから、そんなものキーパンチでゴミ箱へと一直線だ。「管理人が卑猥だと判断したため」という特権を使ってやる。ここはど素人の海だ。誰だって発言できる自由の海なのだ。よし、これで、予防線は十分だろう。では言う。少女役を演じたマーガレット・オブライエンの着替えシーンにドキッとしたのは(ロリーコンプレックスではないし、性的倒錯でもなんでもないです)、果たして僕だけでしょうか(いや、もしかしたらロリータコンプレックスであり、性的倒錯者なのかもしれない)?仲間がいたら、恥じらうことなく手を挙げてほしいのです(そこに映画好きの諸君がいなければ、僕はロリータコンプレックスであり性的倒錯者なのだろう)。

 

映画をまともに見ない、そしてろくに語れないただの変態と言われそうだが(変態という言葉が嫌いではないが、それがモテる男の条件としての変態性という意味においてである)、僕がその少女の背中に興奮してしまったのは、明らかにこの映画の構造によるものなのだ(僕は悪くない)。

 

万博を翌年に控えたアメリカの田舎町セントルイスに暮らす中流階級の一家の生活模様を描いた映画なのだが、この映画にこれ以上の説明を付け加えることは不可能だ。この映画は、「アメリカの田舎町に住む中流階級一家のステレオタイプ的で理想的な生活」をカタログ的に見せつけた映画なのだと言える。女流

作家のサリー・スミスが自身のセントルイスでの幼少時代を綴った短編集を下地にして製作されたこの映画の衣装や美術は、見事に時代設定に忠実になっている。セントルイスの街並みはMGMの撮影所内に20万ドルかけて忠実に作られ、衣装デザイナーのアイリーン(これが映画衣装のデビュー作)は当時のカタログを読み漁って忠実に当時の服装を再現している。だからその街並みも、演者が着るコスチュームも、家の中にあるシャンデリアも、意中の人とダンスに行けないことが(しかもタキシードを洋服屋に預けたままだからというアホみたいな理由で)ダイレクトに「死にたい」という感情へと繋がっていく文化的背景も、当時のカタログ写真を見ている気分になるのだ。「ははは、昔はこんなだったんだねー。」

 

映画衣装は、「時代背景の再現性と現在の視点からのデザイン」という二重構造になっているのだが、この映画は時代背景の再現性の徹底ぶりと、再現された「万博を控えて浮き足立つアメリカの田舎町」という時代背景の見事な足し算によって現在形の視点を失い、購買意欲を唆ることのない(我々と写真をつなぐ「値段表記」というリアルの欠如)カタログ的映画となっている。そしてそんな構造の中に、突如として現れたロリータコンプレックス。カタログの閲覧中に突如現れた18禁本の袋とじページ。不意に訪れたマーガレット・オブライエンの背中に僕は思わずハッとしてしまった。

 

というわけで、僕はこの映画が特別好きという訳ではないが、良質なカタログ映画とちょっとしたエロティシズムがお好みの方は是非ご覧ください。

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