ミュージカル映画史

ミュージカル映画史1〜誕生まで〜

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ミュージカル映画史1〜誕生まで〜

 

1928年にエイゼンシュテインがトーキー宣言の中で音と画の非同時性について説いた約一年前の1927年、声を持った長編映画として満を辞して上映されたのが「ジャズシンガー」。これはミュージカル映画の嚆矢であり、このジャンルはとりあえず現在地点でのミュージカル史的集大成「ラ・ラ・ランド」(正確にいえば、70年代ミュージカルの掘り起こしであり、ミュージカル映画史のファストフード的詰め合わせ)の90年前に産声を上げた。その出自からして、ミュージカルは映画のジャンルとして非常に映画に新和/神話的といえる。当時、トーキー映画への移行には膨大な設備投資が必要で、世界で初めてレコード式のトーキーを作ったワーナーはその膨大な費用に破滅寸前だったのだが、アメリカは大恐慌前夜であり、さらには「ジャスシンガー」がブラックバスターとなったおかげでワーナーは奇跡的に経営を持ち直す。つまり、声を持つことで生まれたミュージカル映画は、天命のようにその声を救ったのだ(マッチポンプ的と言われればそうだなのだが)。いわば子が親を救う物語。ユング=フロイト的関係性(だとしたら、子は親を離れていく運命にあるのだ!)。その古典的物語は、映画とミュージカルが親和/神話的であることの十分な証拠になるのではないだろうか。

 

さて、ここからはミュージカル映画について長々打ち込みさせていただくことにして、たくさんの脱線をも許容しつつされつつ鈍行運転で進めていきたい。

 

さて、冒頭で述べた通り世界初のトーキーミュージカル映画である「ジャズシンガー」が上映されたのが1927年。ヴァイタフォンシステムという映像と音声トラックの同調システムを使ったこの映画のヒットを受けて、その後ミュージカルというジャンルが映画の中で確立されていく。ちなみにこの「ジャズシンガー」という映画は全編トーキーというわけではなく、約三分の一だけが音入り。しかも俳優が喋るシーンはわずか数シーンだけで、後はサイレント期と同様に文字でストーリーを説明する形式。たったそれだけ?という感は否めないが、やはり当時の人々には衝撃だったらしく、淀川さんのジャズシンガーへのコメントはなかなかにアホらしくて面白いので是非見て欲しい。この映画はサイレント期の名残を残しながらトーキーの技術が入っているので、そこに微妙な違和感が生まれていて、それは思春期に訪れる心と体のズレみたいなもので、何かが始まる時には必然的にこういった矛盾が生まれるものなのだが、この映画の矛盾というのはその過剰な演技(サイレント期特有)と声が実にマッチしてないというところにある。主人公の母親は、まさにサイレント期の女優らしく表情を豊かに息子の家出を悲しむ感情を表現する。ムンクの叫びみたいな絶望といったらわかりやすいだろうか。で、映画中盤にその息子と再会するのだけれど、ここで初めて母親の声がお披露目になる。その声っていうのが、物凄くか細くて優しい声。「やっすぁしぃ」と思わず腰を抜かし、なんとも斜めうしろから突かれたみたいな意表のつかれかたをしてしまう。とにかく、この映画が生まれたのがサイレントからトーキーへの過渡期なので、僕たち現時点での現代人には少しの違和感があってとても面白い。

 

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