2010年代 新作 映画について

「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」(2017) モンタージュの中心にある、アメリカにフランスを持ち込んだレディ

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「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」(2017)

監督

パブロ・ラライン

キャスト

ナタリー・ポートマン(ジャクリーン・ケネディ・オナシス)、ピーター・サースガード(ロバート・F・ケネディ)、グレタ・ガーウィグ(ナンシー・タッカーマン)、ビリー・クラダップ(ジャーナリスト)

 

初めてナタリー・ポートマンを知ったのは「地上より何処かで」(1999)を観劇した時だった。その時は、「あー、綺麗な女優だな」と思ったのだが、今思い返してみればそれは結構自分にとって珍しい感想だったのだと思う。なぜならそれ以降、そんな風に感じた女優はいなかったからだ。たしかその映画でナタリーは高校生役を演じていたと思うのだが、子供っぽさと大人びた感じがシーンごとに顔を見せ、しかもそれが演技によるそれではなくて、造形美を映し出すカメラの角度によって現れるので、物語の進行速度とリズムが微妙にズレていてとても面白い映画だと思ったのを覚えている。

 

それ以来、実はナタリーの映画を観たことがなかった。と思ったが、「ダージリン急行」(2007)にも「ブラックスワン」(2010)にも出ていたことに気づき、さすがに主演している「ブラックスワン」を忘れていたことに気づいた時は切腹したい気分になったが、おそらくあまり印象に残っていなかったか、観た当時の生活が相当荒んでいたのだということで納得した。他にもスターウォーズなどの作品に出て名前を売ってきた彼女だが、その時期にその映画を見ようと思わなかったタイミングもあって、彼女をその他の映画のスクリーンの中で見ることはなかった(テレビではたまに、あと英語の教材で声だけ聞いていたりした)。

 

この映画はとにかくナタリーが良い。と言ったらとても空虚に響くかもしれないし、データベースの密林に埋もれてあなたの目まで届かずにこの言葉たちは永遠に死んでいくのではないかという安堵感を装った恐怖感が訪れかねないので、少しでも中身を持たせるためになぜ良いのかを打ち込みたい。なのだが、それを説明してみようにもちっともこの空虚が埋まりそうにないことをすでに悟っている。なんと言ったらいいのか。すがるような思いでネットでググってみるという愚かな行動にでた僕は、データベースの密林の中で「ナタリーの迫真の演技が素晴らしい」という文言を多く見つけたのだ。

 

映像媒体のモンタージュと、その中心点にある衣装たち

 

何はともあれ、この映画のナタリーは素晴らしい。「チェンジリング」(2008)のアンジェリーナ・ジョリーばりにすごいし、「汚れた血」(1986)のジュリエット・ビノシュくらい良い。それくらい、カメラに収まるナタリーの表情が良いのだ。

ジョン・F・ケネディ暗殺後のジャクリーン・ケネディを描いた作品で、記者との対話(取材)を中心に、時間軸をバラバラにしながら物語は進んでいく。時間軸とともに派手にモンタージュされたのが映像の媒体で、昔風のテレビニュースや素材映像なども挿入されている。この編集や物語の進め方にやや退屈したという意見も多々あるようだが、僕はこの映画においてこのモンタージュは実に有効に機能しているように思う。もしそれが退屈だったのならば、おそらく大事な中心点を見逃していたはずなのだ。

その中心点について打ち込む前に、ものすごく勝手な想像を打ち込ませてもらうが(本当に勝手で、真実では全くない)、監督は撮影前に想像していたよりもナタリーのアップの収まりが良過ぎて、「あれ、思ったよりいいな」的な感じになり(記者との対話シーンでは小津の切り返しも使われていたし、ナタリーが外にいるときも部屋の中にいるときも実に完璧なライティングだったことからも、意図的にしろそうじゃないにしろナタリーのアップがこの映画を成功に導くと確信しているかのようだ)、「やべ、アップのシーケンシばっかになっちゃった」的な感じになり、監督の天才的な肌感覚が編集中に冴え渡り、レッドブルを片手にあらゆる映像をくまなくミックスした結果、複雑なモンタージュになったのではないだろうか。まー理由はともあれ、もし僕が監督ならばナタリーのアップだけを永遠に見続けたいなーという欲に勝てず、鈍いその肌感覚でレッドブルを片手にそのシーンばかりを使ってしまうだろうなと思ったりもしてしまったので、モンタージュによるバラバラ感が妙に心地かった。

まーそれが真実かどうかなどはどうでも良いのだが、その心地良さは決してデタラメだから良くなるものでもない。このモンタージュは、ファッションアイコンでもあったジャクリーンの衣装を忠実に、かつナタリーが映像の中で見事に生きるように仕立てたマデリーン・フォンテインの仕事ぶりによって成功に導かれている(ジャクリーンにはフランス系の血が流れており、歴代ファーストレディがやろうともしなかった「アメリカにファッションとしてのフランスを持ち込む」ということをやってしまった人である(アメリカの巴里人!!)。ちなみにそれが真実なのかは知らないが、劇中でちらっと映った香水のボトルはおそらくゲランの「夜間飛行」だった)。ジョンが殺された後も、血のついたピンクのシャネルのスーツを着続けるナタリー(もちろん史実通り)。喪服を着るナタリー。黒のドレスを着るナタリー。そのどれもがナタリーを際立たせ、バラバラになった時間軸や映像媒体のモンタージュに一つの中心点を与えているのだ。

 

とにかく良い点をだらだらと打ち込んでみた。果たして予想通り空虚な言葉の集合体になってしまったかどうかはよく分からないし、僕が知り得ることでもない。とにかく言葉の編集がなっていない。僕は今、この鈍い肌感覚をビンビンに研ぎ澄ませ、レッドブルの代わりに美味しい珈琲でカフェインを摂取している。

 

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