1980年代 映画について

「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」(1989)

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「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」(1989)

監督

アキ・カウリスマキ

キャスト

マッティ・ペロンパー(マネージャー)、カリ・ヴァーナネン、サッケ・ヤルヴェンパー

 

喜劇は均整によって発生する。

架空のロックバンド「レニングラード・カウボーイズ」が、シベリアからアメリカ大陸へと渡りメキシコまでを横断するロードムービーであるこの映画の喜劇性はこの均整に依っている。それは、緊張の緩和という理論化された喜劇の発生装置(専門家ではないのだが、音楽理論で言えばドミナントとトニックの関係性)とは違ったアプローチ(マイルスデイビスのジャズや無調音楽、松本人志のトカゲのおっさん)による喜劇だといえる。

グティ・カルデナスに捧ぐというクレジットから始まり、ツンドラの無人の荒野が映し出された後、カメラはポーリュシカ・ポーレというロシアの民謡を演奏する架空のロックバンド「レニングラード・カウボーイズ」を捉える。その全員(10名近く)が、極端にとんがったリーゼントにサングラスを身につけ、これまたとんがりすぎるほどにとんがり過ぎた生意気な革靴を履き、お揃いのスーツを着こなしている。唯一違うとすれば、スーツの上に羽織るジャケットが毛皮にトレンチと様々なのだが、それが各々のキャラを確立するための道具という安っぽいコスチュームになっておらず、いちいち全員がカッコイイのだ。

 

このカッコよさは、薄い膜の表裏ほどの関係性で喜劇性と愛人関係を結んでいる。じわじわとボディブローのように聞いてくるこの手のアディクティブは、一度覚えてしまうと厄介だ。バンドメンバー全員が集まるときも、全員が食事を摂るときも、不自然なほどに均整の取れたポジションに配置され、それはまるで戦隊モノの五色のヒーローが、それぞれに与えられたポジションでそれぞれに与えられたポーズをきっちりこなすように完璧であり、それが映画全体に漂うカッコよさ(衣装の着こなしなど、ここが戦隊モノのヒーローとは違うのだが)のおかげで滑稽にならず、この無調的喜劇を支えている。

 

そしてこの映画のもう一つの魅力は音楽だろう。ロシアの民謡から始まり、プレスリー時代のロック、テキーラが流れたと思ったらコレクティブが流れ、アコーディオンの音色が入ったボーントゥビーワイルドまで流れてくる。このバラエティに富んだ音楽たちが絶妙に配置されることにより、この映画はこの手の喜劇が陥りがちな「退屈」を克服している。

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