「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル」(1942)MGM
監督
バスビー・バークレー
キャスト
ジュディ・ガーランド(ジョー・ヘイデン)、ジーン・ケリー(ハリー・パルメー)、ジョージ・マルフィー(ジミー)、マルタ・エゲルト(エヴァ・ミナード)
ジュディ・ガーランドの初単独主演作。そしてお相手は、映画初出演のジーン・ケリー。監督はバスビー・バークレー。なんと心踊る字面だろうか。余計な装飾を施した感動的な謳い文句なんかより、彼らの名前を黒字のゴシック体で羅列しただけの方が断然そそられる。
二元論が思考の出発点となるのだとしたら、というか世間様のほとんどの方が知っておられることであろうが、ジーン・ケリーとフレッド・アステアはMGMのミュージカル黄金期を支えた二大看板スターであり、お互いをリスペクトしあう間柄でもあり、当然のように比較される関係でもあるのだから、ジーン・ケリーを定義しようとしたらフレッド・アステアという名前を出さずにはいられないし、フレッド・アステアの中にもジーン・ケリーが存在していることは言うまでもない。
僕はフレッド・アステアよりもジーン・ケリーに気がある。それは、この映画で披露されたジーン・ケリーの初ダンスシーンの時からの恋心だ。僕にアステアは高嶺の花すぎる。姿勢が良すぎる。いい匂いがしそうで近寄りがたい。そして何より、いつも完璧なコスチュームで踊っているのが美しすぎる。だからそのダンスシーンで髪を不潔にし、汚穢に満ちた髭をつけ、謎のワッペンを大量に施したオーバーサイズのジャケットを着て楽しげに踊るジーン・ケリーに心惹かれたのは、アステアへのアレルギー反応からきていたのかもしれない。プライドの高い田舎の一座のトップダンサーなんて、アステアにはできないでしょ?
ハリー(ジーン・ケリー)が歌の才能に惚れ込んだジョー(ジュディ・ガーランド)と公私共にパートナーとなりスターの仲間入りを目指すが、戦地への招集を自らの手を犠牲にすることで逃れたハリーの姿を見たジョーは彼を拒絶する。やがて、後悔の念から戦地の英雄となったハリーを許したジョーは彼と和解してハッピーエンド。という内容だが、この映画の公開が1942年なのだから、当然戦時中であり、そんな時に戦地招集を卑怯な手段で逃れようとする男の映画を公開するアメリカの凄さにまず驚きたい。
バスビー・バークリーが監督と聞いて、実に華やかなレヴューシーンを期待してしまった方もいるだろうが、この映画にはそれほど華やかなレヴューシーンはない。しかし、実に繊細な演出によってこの映画は素晴らしいものになっている。ジーン・ケリーが自らの手を潰すシーンなんかは、ヒッチコックの「鳥」(1963)さながらに素晴らしい緊張感を持っている。