「アンナ・クリスティ」(1930)
監督
クレランス・ブラウン
キャスト
グレタ・ガルボ(アンナ・クリスティ)、チャールズ・ビックフォード(マット・バーク)、ジョージ・F・マリオン(クリス・クリストファーソン)
“Garbo talks! (ガルボが話す!)”
と謳われたグレタ・ガルボのトーキー第一作。
物事を極め、膨大な知識を得て、地位をもすら手に入れ、名声に浮かれることなく尊敬を集め、いかなる挑戦事をも成功に見せてしまう人がいて、彼(彼女)はそれでもなお、たった一つのことに悩み続ける。それは、それを意識せずに(無意識というエスではなく、反射的にと言った方が近い)体現してしまう人間についてだ。想像を超える出来事を恐れる我々人間は、そんな存在に「天才」という仮の言葉を使うことでひとときの安堵に身を委ねている。
おそらく、グレタ・ガルボは天才の一人である。サイレント期に民衆が抱いた不安を、鮮やかな不意打ちで踏破してしまった。恐らくそれは、本人が意識できないところで時代や環境に適合しすぎてしまったからに違いない。
数年間の家出期間を終えて父のもとに帰ってきたアンナ(ガルボ)は、挨拶にウィスキーを流し込む弱き強者へと変貌していた。そこで発せられるガルボのスウェーデン訛りの英語は、驚くほどに役にハマる。
ボロボロになったカーディガンを羽織ったガルボも、フリルのワンピースを着てデートするガルボも、黒のレインコートを着て霧の中でランタンの美しい一灯の光に滑らかなグラデーションをその髪に献上されたガルボも、絶妙に似合っておらず、それが心地よいスウェーデン訛り程度の差異を生み出している。
この映画は、最初から最後までガルボの映画だ。泥酔前に快楽があるように、不似合いという心地悪さに行き着く前の快楽がそこにはある。