ミュージカル映画史

ミュージカル映画史9〜70,80年代のミュージカル映画〜

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ミュージカル映画史9〜70,80年代のミュージカル映画〜

 

70年代80年代のミュージカル映画を語るのはなかなか難しい。それは製作本数の激減も理由にあげられるし、これと言った名作がないとも言えるし、ミュージカル映画というあるようでないような定義みたいなものから外れていくような音楽映画が制作され始めたからだとも言える。とにかく、映画史に合わせてこのことについて考えて見たい。

70年代に入り、ハリウッド映画産業は息を吹き返す。当然そこには30〜40年台の黄金期にあった構造はなく、むしろ真逆の構造によって映画産業は延命した。

もう一度振り返るが、黄金期ハリウッドのスタジオシステムとは、各有力会社が自社の製作機構、配給組織、劇場網を有しており、各社は所属するスター達をどのようにして美しくスクリーンに収めるかということに躍起になり、各々の技術を培ってきた。48年に各社は最高裁の決定により劇場網を手放さなくてはいけなくなった。そして70年代に入り、テレビやビデオの普及もあって経済的にダメージを受けた結果、製作機構も手放さなければならなくなった。別産業と合併する結果になった有力会社に残されたのは、名前と配給組織のみとなったのだ。映画作品の資金を回収するための収入の場は当然劇場収入になるわけなので(それも徐々に変わっていくが)、結局各社の残した配給組織があれば、映画産業を支配することができたのだった。

さらに70年代に入り、テレビやビデオの普及によって映画が迫られた状況は、ビスタサイズやシネスコなどのスクリーンの巨大化や、安価な製作費で作られるそれなりの質の映画ではない大作を作ることによって差別化を図ることだった。「スターウォーズ」(77)などの大ヒットシリーズによって、1億ドル以上の製作費をかけて作られる大作映画、ブロックバスタームービーというものが出てくる。ブロックバスターの語源は、「ゴッド・ファーザー」などの大ヒットに端を発し、それまで一般的だった、一つのフィルムがその地域を順に回るという巡業スタイルではなく、大量のフィルムを投入してその地域一帯をその映画で埋め尽くしてしまうというスタイルが出てきて、その様子がその地域を一気に爆発する様子にならっている。

これ以降ハリウッドは黄金期のような薄利多売ではなく、一発狙いのスタイルへと変化していく。

70年代には他にも、フェミニズム運動が映画産業へと影響を与えるようになる(というか、この時代から映画の構造分析みたいなものが盛んになり、フェミニズムという観点から映画が分析され始めたといってもいい)。当然ながらそうなると、映画というものがいかに男性の欲望のための装置かということがフェミニスト運動家たちによって批判される。彼らによれば、映画はフィルム・ノワール的サディズムかスタンバーグ的フェティシズムに分けられてしまうのだ。

70、80年代にはミュージカル映画なるものはほとんど製作されていない。それに変わるように、音楽映画が盛んに製作されるようになる。その背景には、映画産業の収益源の変化が関わっている。70年代後半から、映画産業(ハリウッド・メジャー)は関連商品(衣服・玩具・レコード・テーマパーク)からの収益に依存するようになる。それは、大作主義に走った映画産業が取ったリスク回避の方法とも言えなくはない。のちのミュージック・ビデオに影響を与えるような音楽映画は、キャッチーなサントラを作りポップス市場と絡めて収益を得るようになる。

エルヴィス・プレスリーやビートルズなどの人気歌手が主演する映画や、サタデー・ナイト・フィーバー、アメリカン・グラフィティなどの音楽映画は全てこの時代に製作される。

なので、この時代のミュージカル映画について語ることが難しいといったのは、それを映画としてみたときに評価に困るということなのだ。実際にそれがうけてしまっている現実があって、マーティン・スコセッシの「ニューヨーク・ニューヨーク」や「ゴッドファーザー」で大当たりしたフランシス・フォード・コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」、ピーター・ヴォグダノヴィッチの「アット・ロング・ラスト・ラブ」といった、黄金期のミュージカル映画を踏襲するような映画は見事に失敗してしまう。個人的には後述した映画群のほうが好きなのだが、この失敗以来ミュージカル映画は低迷期に入ってしまうのだ。90年代に関しては、特に特筆したいこともないので、ここから一気に00年代の映画へと進みたい

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