ミュージカル映画史6 〜40年代のミュージカル映画〜
40年代のミュージカル映画は、MGMの一人勝ちという構造が出来上がる。
このMGMの二大看板になったのはRKOからフリーを経てMGMと専属契約をしたフレッド・アステアと、40年代頭にブロードウェイからMGMへとやってきたジーン・ケリーだった。フレッド・アステアが、映画がヘイズコード施工後に余儀なくされたエロティシズムからの撤退をエレガントというタームによって支えたのと同様、ジーン・ケリーは40年代以降新たなエロティシズムをミュージカル映画に持ち込んだ。
例えば「巴里のアメリカ人」ではレスリー・キャロンに振られてふて腐れたジーン・ケリーが、その空白を埋めるためにパトロンのニーナ・フォッシュを感情のままに誘うのだが、そのシーケンスがとてつもなくエロい。僕はこのエロさゆえにアステア派ではなくジーン・ケリー派なのだが、この映画でのこのシーケンスは、おそらくジーン・ケリーのフィルモグラフィの中でもずば抜けてエロい。
40年代後半以降、徐々にハリウッドのスタジオシステムが崩れていく。
ではここから、スタジオシステム崩壊がミュージカル映画にどのように影響していったのかを見ていきたい。