1950年代 映画について

「スタア誕生」(1954)

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「スタア誕生」(1954)

監督

ジョージ・キューカー

キャスト

ジュディ・ガーランド(エスター・ブロジェット/ヴィキット・レスター)、ジェームズ・メイソン(ノーマン・メイン)、ジャック・カーソン(マット・リビー)、チャールズ・ビックフォード(オリヴァー・ナイルズ)

 

「オズの魔法使い」(1938)でスタアとなったが、「若草の頃」(1944)「イースター・パレード」(1948)以降緩やかに下降線を、というよりは自ら翼をむしり取りながら蛇行運転し続けてきたジュディ・ガーランドが、この映画では落ち目のスターであるノーマン・メイン(ジェームズ・メイソン)に見出されてスタアとなるというアイロニー。逆にノーマンは世紀の格差婚に悩まされて死へと至るという不吉な未来予知。映画の中の映画の中のレヴューシーンという入れ子構造。つまり、この映画は複雑な構造を孕んでいる。孕んでいながらも、ジュディ・ガーランドとジェームズ・メイソンのシンプルな演技がその構造に姿なき中心点を与えているというだけで、この映画は素晴らしい。

 

総天然色シネマスコープ独特の臭気や空虚をスクリーンいっぱいに滲ませながら始まるこの映画はまず、ドランカーとなったトップ俳優のノーマンが、他人の舞台で破天荒に暴れる様を映し出す。そんな姿の中にわずかな優しさを感じたのはその舞台でバンドのボーカルとして参加していたエスター(ジュディ・ガーランド)だった。やがてシラフになったノーマンがエスターの才能に惚れ込み、自分の映画制作会社にエスターを売り込む。二人は惹かれあい、エスターは順調にスタアへの階段を登っていく。ノーマンは改心して酒を断ち、二人は幸せな結婚生活を送り始めるが、過去の悪評のせいでノーマンの仕事が無くなってしまう。どんどんと広がっていく格差に悩んだノーマンは、再び酒に手をつけてしまう。

というのが簡単なあらすじ。まー物語自体は実にシンプルで、「傷つけられたプライドによって引くに引けなくなった自尊心」と「それを支える献身的な妻の愛への羞恥心」の狭間で悩む男の物語。

さて、はっきり言ってこの映画はジュディ・ガーランドの映画の中でずば抜けてジュディ・ガーランドが良い映画だ。「オズ」の瑞々しさよりも良いし、「若草の頃」で見せた不恰好な少女役(褒めている)よりも良いのだ。アカデミー賞主演女優賞は「喝采」(1954)のグレース・ケリーに譲ったが、明らかにジュディ・ガーランドの方が良い(賞を取れなかった原因は、ジュディの遅刻癖や素行の悪さに怒りを露わにしていた製作会社が絡んでいるのではないかと言われている)。

 

「ほんとこれ良いよ!」と言っておきながら全く理由を説明しないエセシネフィルになりかけているので(時にこの異常な熱量が心打つ時があるのだが、果たして打ち込みのみで、パロールという情報密度の高い伝達方式に近づけるのかというのが書き手の大いなる課題でもある)、一応僕の私的意見を載せておく。

 

この映画は三時間もある大作なのだが、一切の幸せを描いていない。映画のあらすじだけを見たら、確かにきっちりと起承転結が描かれいるし、エスターとノーマンの結婚生活は幸せそのものだろう。しかし、映画を観た人間はこの三時間の映画を見終えた後に、ぬるま湯にずっと浸かり続けた気持ち悪さを覚える。普通、こういった転落物語の「転」の前にある「承」の部分では、明るい幸せな光景が描かれなければならない。というかそれが起承転結のルールなのだが、この映画はずっと不幸なのだ。

 

結婚生活が始まってまず、自宅での二人の幸せな光景がスクリーンに映し出される。しかし、自らの性格を知っていたノーマンは、エスターのことを不幸にしたくない思いから結婚をためらっていた背景があり、それでも、彼女の容姿や性格のみならず才能にまでに惚れ込んでしまった彼(僕の脆弱な私的経験値から言えば、これは本当にたちが悪く後を引きやすい。)は、自らの改心を願いながらエスターとの結婚を決めたのだ。もちろん、エスターもそのことを重々承知でいる。こういったバックボーンを、その一見幸せそうに見えるシーケンスの中でジェームズ・メイソンとジュディ・ガーランドが見事に演じている。とにかくそのシーンの二人の気まずさはエスターとノーマンという役柄を超えている。「映画スター達の華やかさとその裏にある廃頽的な香り」というハリウッド黄金期独特の雰囲気を下地にし、その絵を「戦後日本が憧れたアメリカのライフスタイルへの羨望」という僕が知るはずもない視線をなぞりながらできた薄紙にトレースしているような感覚だ。つまりは、「喪失感の中で夢見ることのできる幸福感」と「幸福を得ることで訪れる喪失感」が不思議な同調と共に並置されているのだ。

 

基本的に俳優は自身のバックボーンが邪魔になるのだが、ハイリスクハイリターンな一撃必殺のようにそのタブーをこの映画に利用し、見事賭けに勝ったヴィンセント・ミネリに賞賛の拍手を送りたい。

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