Serge Lutens「Santal Majuscule」
トップノート : サンダルウッド
ミドルノート : カカオ
ラストノート : ダマスカスローズ
僕はセルジュルタンスが大好きだ。だが、どうもこのブランドの香水には苦手意識がある。それは、私が永遠に嫉妬し続けるであろう失われたパリの風景を見事に捉えてしまっているからだ。自分がヴィクトリアシークレットのモデルたちとデートしている姿を想像できるだろうか。否。あまりにも釣り合わない。それは精神的な意味ではなく、絶対的に持って生まれてしまった身体的なものが関係している。パリに生まれることがなかった自分が永遠に持ち続けるであろう劣等感が、このブランドのフレグランスへの苦手意識となっているのだ。(当然ながら、私が言っているのは100年近く前のパリのことだが。)
トップ
トップで香るのはサンダルウッドのオリンタルな香りで、その甘さは、国民的に愛されたあののんびり屋のクマが舐めているハチミツではなく、一部のパラフィリアにしか見向きもされないであろう女性が、そのか細い人差し指につけた濃密な蜂蜜のような甘さだ。
ミドル
ミドルノートに入ったこの香りは、カカオやダマスカスローズと混じり合うことで自滅的に匂いに深みを持たせている。
ラスト
ラストに入り、香りはよりクリーミーになる。ダマスカスローズの甘さが香り、あの濃密だった蜜の主人はいつのまにか甘い闇の中へと消えていってしまい、もう、あの頃の姿には戻れない後悔と悦楽をひたすらに望み続けなければならない。
香りというものは、立ち現れるものなのか、それとも消えゆくものなのか。なぜセルジュルタンスのフレグランスが個であり続け、他から離れているか。それはこのブランンドの匂いに対する考え方が、絶対的に後者であり、それは確実に私たちが望む安心の状態を拒否することであるからだと思う。