1930年代 映画について

「オーケストラの少女」(1937)

更新日:

「オーケストラの少女」(1937)ユニバーサル

監督

ヘンリー・コスター

キャスト

ディアナ・ダービン(バッツィー)、アドルフ・マンジュー(ジョン)、レオポルド・ストコフスキー(本人役)

 

学生時代のある先輩が、「結局さ、さとう珠緒みたいな女に弱いんだよな、男って」みたいなことを、何も知らない純粋無垢な16歳の少年だった頃の僕に、健全な若年男子が必ず経験する思春期シンドロームである「何かを悟った仙人のような」口ぶりで偉そうに説き始めてくれたのを覚えている。それがその先輩との初めての会話だったことはもう全くどうでもよいことだが、その口ぶりと、微かな心当たりから、そのセリフが今も僕の頭の中にこびりついている。

僕がディアナ・ダービンを見たのは、アンネ・フランクの部屋を訪れた時に見たピンナップ写真が最初だ。だから僕にとっては映画スターというよりも、ピンナップガールに近い印象を持っていた。

 

アーサー・フリードによるキャスティングカウチの被害者でもあるジュディ・ガーランドと裏映画史的に生き別れた姉妹となったディアナ・ダービン。詳しく話せば、ルイス・B・メイヤーが太りやすい体質のジュディ・ガーランドをクビにしようとしたが、その指示を受けたアーサー・フリードは性的関係を結んでいた当時13歳のジュディ・ガーランドを残し、代わりにディアナ・ダービンをクビにしたのだ。程なくディアナ・ダービンはユニバーサルと契約することになる。ジュディ・ガーランドは「オズの魔法使い」(1939)で一躍スターの仲間入り、ディアナ・ダービンもこの映画のヒットで有名になり、二人は同時期にMGMとユニバーサルそれぞれの看板女優になる。結末まで話すならば、ジュディ・ガーランドは薬に、ディアナ・ダービンはスキャンダルに溺れて沈んでしまうのだが。

 

トリビアはここまでで、この映画のディアナ・ダービンの演技は決して上手とはいえない。おてんば娘を演じる彼女の演技は過剰なのだが、その過剰さが「さとう珠緒的」な何かのように感じるのは、この映画がシアトリカルに響いているからで(というよりは下手な映画がアブソープティブになれずにシアトリカルになってしまったという感じで、意図的にスクリーンを意識させるような策略はこの映画にはない)、客観的に見る「さとう珠緒的」な何かは、人に苛立ちしか覚えさせないのだ。しかし、小悪魔は突如として姿を見せる。ボロ服だった彼女が黒のドレスを着て、レオポルド・ストロコフスキーの前で披露する歌声は、この映画を転覆させるほどに美しい。一度この美しさを知ってしまったら、もう彼女と他人でいることはできない。「さとう珠緒的」な何かは、関係を結んでしまうと厄介なのだ。

 

それとディアナ・ダービン率いる失業者楽団が、レオポルド・ストロコフスキーの自宅で演奏するシーンは、映画史で一番鮮やかなオーケストラシーンでもある。

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