1930年代 映画について

「間諜X27」(1931)

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「間諜X27」(1931)

監督

ジョセフ・フォン・スタンバーグ

キャスト

マレーネ・ディートリッヒ(マリー/X27)、ヴィクター・マクラグレン(クラノウ大佐)、グスタフ・フォン・セイファーティッツ(オーストリア諜報部長官)

 

ディードリッヒを語る上でどうしてもグレタ・ガルボの名前を出さずにいられないのは、決して私個人の悪趣味的カテゴライズによるものではない。日本画の出自が西洋画にあるように、あるいは愛に憎悪があるように、ディードリッヒという存在(映画の中での)は常にグレタ・ガルボとの差異でしか語られることはなく、だからこそ隠れた才能をスタンバーグによって見出され、棘のような知性の服を身にまとっていて、ルキノ・ヴィスコンティが作り出したヘルムート・バーガーへとつながっていく銀幕のスターはこの映画で、映画史上最も優雅な姿でスクリーンに死を定着させた女となったのかもしれない。実際MGMはこの「間諜X27」が上映された後、対抗するようにガルボで「マタ・ハリ」(1932)という間諜映画を製作している。この史実からも当時からこの二人は切っても切り離せない関係の上に成り立っていたことは間違いない。

この時、ガルボは26歳、ディードリッヒは30歳だった。優劣をつけることなど本望ではないが、「マタ・ハリ」は「間諜X27」の足元にも及ばなかった。ディードリッヒとスタンバーグという名コンビの全盛期に撮られたこの作品は、最初から最後までスタンバーグの演出が見事な作品で、おそらく二人のコンビで作られた作品のピークでもある。この映画以降、ディードリッヒはアメリカ人の好奇の目に晒されていく。それはあまりにも冴え過ぎたスタンバーグの演出と、それを見事に演じて見せたディードリッヒが受けた称賛と誤算だったのかもしれない。

 

「生きることも死ぬことも怖くないわ」というセリフを鮮やかに口から漏らし、雨の中で黒のタイツを直す仕草を見事に演じた娼婦のマリー(ディードリッヒ)は、その美貌と知性を買われて間諜となる。間諜となってからも、ディードリッヒのこの娼婦らしい仕草はスタンバーグの見事な演出によってカメラに収められてしまう。

 

特に、ディードリッヒの椅子の座り方は素晴らしい。それは座っている佇まいのことではなく、座るという行為があまりにも自然なのに、彼女が座るのはいつもそうするべきところではなく、例えば椅子の肘掛けだったり、バーカウンターだったりするのだ。こんなことがガルボにできるだろうか。実際「マタ・ハリ」でガルボは同じように肘掛けに座って見せたりするのだが、どうしてもカメラに上手く収まろうとはしない。

 

女間諜もの映画が当然のように孕んでいる、男と任務の板挟みという結末がこの映画にもたらしたものは、「生きることも死ぬことも怖くないわ」と言っていた頃の娼婦に戻ったディードリッヒだった。彼女は死刑執行の直前、護送官にサーベルを抜くよう頼むと、そのサーベルを鏡に使って身だしなみを整える。この状況で身だしなみを整えることは不自然だし、結局サーベルは本来的な役割を果たせずにいる。それでも、ディードリッヒのその一連の仕草は完璧なまでに自然であり、そこには娼婦としてのディードリッヒと、女優としてのディードリッヒと、人生の最後にアメリカを嫌って出て行き、ホテル住まいをするようになったあの華奢なディードリッヒが混在している。映画とは一人の女優のためにあるのだと高らかに宣言したこの映画は、だから素晴らしいのだ。そして死刑執行の時、彼女は再びタイツを直す。幸か不幸かこの素晴らしい演出が、映画史上最も優雅な女優の死を産み出してしまったのかもしれない。

 

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