香水について

怠惰な香りの美学

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香水は高潔な言葉に寛容的である。

 

香水への偏愛を語ることは容易く、そこに憎悪という名のコノテーションを香わせることなど朝飯前だ。場末の酒場に住み着いた幽霊のごとく、誰にでも憑依するそんな愛のセリフは、「酒」という呪具を介してやってくることを僕達は知っている。

 

アルコールを出自とする香水は、自明ながらもこの呪具と血を別つ。臆病な勇気と、愛への饒舌を許可するこの厄介物は、いつの時代も怠惰な欲望を満たしてくれる。

 

体臭をバラの匂いに変えようと努力したクレオパトラの時代から、シャネルの五番に歓喜したパサージュの夜を経て、私達は今尚体臭をバラの匂いに変えようと日々努力している。この、世界のファムファタールたる「カエサルの贈り物」と同じ高尚な悩みを抱えていることに、僕達は素直に喜ぶべきなのか?

 

近代以降、芸術は常に二元論の中を生き、様々な言葉に姿を変えては生きながらえてきた。印象派と写実派、リアリズムとモダニズム、ストレートとピクトリアリズム。そして戦火の夜明け、私達はアウラを失ったのだ。

 

まずは前提として、香水は紛れもなく複製物だ。そこにはアウラはない。そして複製物は、欲望の剥片でもある。思春期の男の子なら誰だって知っている。未知の欲望の断片が、成人誌の中にあったことを。貴族が独占していた芸術の断片が、写真という複製物によってみんなのものになったことを。

 

欲望には二種類ある。卑しい欲望と、もっと卑しい欲望だ。体の内側からキレイになって、ナチュラルで素敵なフェロモンを香らせたいという欲望。楽してお金払って簡単に良い匂いを纏いたいという欲望。僕は後者に魅力を感じる。そこには太宰が書こうとした人間の業のようなものがあり、バルトのようなダンディズムすら感じる。僕は今、堕落した欲望を永遠のものにしたいという最上級の卑しい欲望を、最も怠惰な香りの美学としてここに定着させたいと願ってしまったのだ。

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