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「希望のかなた」(2017) 偽りの中にある真実の鈍い色

更新日:

「希望のかなた」(2017)

監督

アキ・カウリスマキ

キャスト

シェルワン・ハジ(カーリド)、サカリ・クオスマネン(ヴィクストロム)、イルッカ・コイヴラ(カラムニウス)、ヤンネ・ヒューティアイネン(ニヒルネン)、ヌップ・コイブ(ミルヤ)

 

淡い色が嫌いだ。淡い色の服を着て、天使のように振る舞う奴らはみんな嫌いだ。薄暗い雲翳の日にパステル色の服を着た女の子にやんわりデートを断れて中途半端なところで生きながらえているシンガーのBGMが流れる街を朦朧としながら歩いている自分が嫌いだ。この映画を見て、僕は心底そう思った。それでも、男は何度だってこの天使に騙される。なぜなら男は盲目の中に生きており、この盲目のロマンスの中では、この嘘くさい天使は本物以上に本物だからだ。

アキ・カウリスマキ。このジャパンフリークでカーマニアの監督を語るには、手がかりを見つけることはそう難しいことではない。犬を語るもよし、盟友ジム・ジャームッシュを手綱にするのでもよい。

 

スクリーンの中で無表情を装い続けることは、言葉を極限的に慎み、感情の起伏を抑えた最小の演技なのではなく、異常なまでに過剰な演技なのであって、アキ・カウリスマキ監督の映画に登場する人物はその過剰な演技によって映画にある構造をもたらしている。その人工的すぎる鮮やかなライティングも、豊かなのにどこか我々を突き放すような色彩も、その過剰さによってそこが映画の中にしか存在しない世界なのだとしつこく訴え続けている。

アレッポから避難民としてヘルシンキに流れ着いたカーリド(シェルワン・ハジ)は、石炭の中に隠れていたことで汚れてしまった身体を洗うため、駅のシャワールームへと足を運ぶ。彼が身体についた汚れを流したとき、画面には嘘のように真っ黒な液体がシャワールームの床に広がり、画面は偽物の黒でいっぱいになる。この偽物のような色は、この映画の通低音となってこの映画に散りばめられている。仕事に飽き、酒飲みの妻にも辟易して家を出ていくヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)の視線の先にいる妻が着ている赤色で陽気なシャツ。その目の前の机に置かれたサボテンの緑。ヴィクストロムが買収したレストランの壁の青さ。とにかく、この映画は嘘の色で塗り固められている。もちろん、映画は嘘の塊だ。だからこそ、この嘘は盲目のロマンスの中で天使が本物以上に本物に見えたように、いかにも本物らしく私たちを魅了してくれる。

 

偽りの中にある真実の鈍い色

しかしこの映画で最も感動的なのは、カーリドがやっと見つけてヘルシンキまで連れてきた妹が、難民申請をするために警察署へと向かって歩いていくシーンだ。不法滞在する道を拒み、強い意志で自分の名前と共に生きていくことを決めた妹の演技(あまりにも無感情すぎる)も素晴らしいが、その強い意志を持った彼女が羽織った鈍い薄緑のジャージが、突然この映画に訪れた曖昧さとして立ち現れるシーンの素晴らしさはこの上ない。この不思議に鈍い色の出現は、避難民への偏見というこの映画の題材をも取り込み、その狂おしいほどに映画とかけ離れた鈍い色が親しみを持ち始めると、僕たちに同情という感情を引き起こさせる。(私はこの同情という言葉を全く悪い意味で使ってはおらず、ルソー/ユング的な意味での人間社会の根本にある感情として使用している)

 

長々と打ち込んだが、とにかくこの映画には素晴らしいシーンがたくさん散りばめられている。特に、老人たちがカジノのポーカーで静かに無表情で狂喜乱舞するシーンの迫力は、その的確なカット割りと、カメラが真剣に俳優たちに向き合った結晶のように輝いている。

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